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震災遺構を巡る~避難者全員が生還 山元町・中浜小学校で防災を学ぶ

最終更新日:2023/12/25

季節
1月/2月/3月/4月/5月/6月/7月/8月/9月/10月/11月/12月
市町村
仙台・松島エリア-山元町

こんにちは!フリーアナウンサー・ライターの丸井汐里です。今回は、東日本大震災の震災遺構を訪ねてきました。私のキャリアのスタートはニュースキャスターで、2011年4月から2年間、お隣・福島県のテレビ局で、震災にまつわる報道に携わっていました。以来、定期的に震災復興に関する取材を続けています。

 

ただ、取材で行くとどうしても、その時のテーマで手一杯になってしまいます。もっと肩肘張らずに見たり学んだりしたいと常々感じていたので、思い切って足を延ばしてみました。

 

 

訪れたのは、山元町震災遺構 中浜小学校。屋上への避難を選び、避難した90人全員が津波から逃れ助かった小学校です。見学体験の工夫が評価されグッドデザイン賞を受賞するなど、防災教育の観点でも注目されています。

 

平日でも観光バスで団体客が訪れることがよくあるそうです。公共交通機関でも比較的行きやすいと聞いたので、私はJR常磐線を使って坂元駅で降り、駅前のやまもと夢いちごの郷で無料のレンタサイクルを借りました。電動自転車を利用し、約10分位で到着しました。

 

 

校舎内に入ろうと昇降口前へ行くと、そこには倒れた時計台が。コンクリート製の頑丈な柱が根元から押し倒されていて、津波の威力を物語っています。また、柱の倒れた向きから、押し寄せた津波が北側に流れていったこともわかります。

 

 

校舎の壁面には到達した津波の高さが記されています。校舎2階が水没する程まで達したそう。見上げる高さです。

 

 

建物の中へ入るとすぐ、瓦礫が山積している広場が目に入りました。集会や給食などに使用されていた多目的ホールだった場所です。津波が多方向から襲来し、ここに瓦礫が堆積しました。破壊された窓は高さがまちまちで、津波が波打ちながら通り抜けたことがわかります。津波の威力の大きさを改めて感じます。

 

 

校舎の中心部は中庭になっていました。1階の窓ガラスはほとんど破壊されていますが、2階はそのまま残ったものが多く、ステンドグラスもほぼ健在です。これは、津波の侵入方向や通過方向が関係したと考えられているそうです。

 

 

2階へ上がると、ちょうど入口の上にあたる場所に、広い展示スペースが設けられていました。元は図書室だった場所です。

 

 

震災前の学校周辺の地域の様子を再現した模型。どこに何があったかを示す旗が刺さっています。町の人々の日常が、この場所に確かに存在していたことを改めて痛感しました。

 

 

震災前の中浜小の模型です。土地全体が少し高くなっています。校舎を建てる際、津波・高潮対策で敷地全体を2メートル程度かさ上げした他、住民の避難用に外階段を3か所に設置していました。これも、90人の命を救った要因の1つとなったそうです。

 

 

音楽室だった場所は比較的浸水被害が少なかったため、壁などはそのまま使用しています。ここでは展示の他、当時を振り返る映像プログラムの上映も行われています。私もじっくり見させて頂きました。

 

震災2日前の11年3月9日にも地震が発生していたことから、震災前日の3月10日、校長・教頭・教務主任が、避難手順の他、避難方法・避難先は津波到達予想時刻を基準に判断することなどを再確認していたそうです。

 

発災から津波到達予想時刻まで10分しかなく、内陸の中学校まで子どもの足で20分かかることから、屋上への垂直避難を決断したとのこと。生死を分ける重い判断、計り知れない重圧があったことでしょう。映像には、当時の関係者の証言が収録されています。

 

 

校舎内にはポイントごとにガイドの方がいて、当時の様子を教えてくれます。しっかり案内してほしい場合は、事前に予約すれば有料で校舎内を同行して頂くこともできます。映像を見た後、ガイドの方が屋上へと案内して下さいました。階段は普段児童が使用しない資料室の中にあり、児童の多くは避難の際に初めて階段の存在を知ったそう。かなり急勾配で狭い階段でした。

 

 

屋上から海の方を眺めると、校舎は海から程近い場所にあることがわかります。こんなに穏やかな海が、人々の命や生活を奪ってしまうなんて……。第3波・第4波は校舎よりも高く、大人たちは覚悟を決めていたそうですが、幸運にも引き波とぶつかったことで津波が低くなり、人的被害は免れました。

 

現在校舎の周りには住民が住むことはできません。土地は塩害もありましたが、2022年から農作物の栽培が始まったんだとか。23年からは、塩害にも比較的強いとされる長ネギを生産しているそうで、青々としたネギ畑が広がっていました。

 

 

最後に案内して頂いたのが、90人が一夜を過ごした屋根裏倉庫です。屋上に着いたら先に児童を中に収容し、津波を見せないよう配慮したそうです。余震が続き、冬の厳しい寒さも襲う中で、断熱材のない屋根と壁、そして真っ暗の倉庫で耐え忍ぶというのは、身体はもちろん精神的にも非常に過酷な状況だったことが想像できます。

 

倉庫には備品なども当時のまま残されています。倉庫にあった段ボールなどを床に敷き、学芸会の劇の衣装を毛布替わりに活用。津波が引いた後に校舎内や体育館を捜索し、ブルーシートや真空パックされた非常用毛布を見つけて寒さを凌いだそうです。

 

 

校庭には日時計のモニュメントが置かれた丘があります。震災翌日、屋上で手を振る子ども達に気付いた自衛隊のヘリコプターが救助のために着陸した場所の近くに築いたそうです。ガイドの方が案内の中で「観光の際に中浜小にもぜひ来てもらって、生で様子を体感してもらうことが、日ごろの備えにも繋がるのではないか」と話していたのがとても印象的でした。

 

津波の被害の大きさだけでなく、事前の備えやいざという時の判断、身の回りにある備品のとっさの時の活用法など、防災を考える上でのヒントも知ることができる、山元町震災遺構 中浜小学校。震災から時間が経った今、身の回りの備えを改めて見直すため、訪れてみるのも良いのではないでしょうか。

 

 

山元町震災遺構 中浜小学校

宮城県亘理郡山元町坂元字久根22番地2

TEL:0223-23-1171/FAX:0223-23-1172

開館時間:9時半~16時半(最終入館 16時)

休館日:毎週月曜日(祝日の場合は開館し、翌日休館)・年末年始(12月28日~1月4日)

入館料:一般 400円/高校生 300円/小中学生 200円

※団体料金あり。特別開館日(3月11日・9月1日・11月5日)は入館無料。

語り部ガイド料:5000円(原則90分以内。ガイド1人につき見学者20人以内。)

※見学予約申込書に記入の上、見学予定日の20日前までにメールかFAXで申し込み。

アクセス:常磐自動車道 山元南スマートICから約10分

     JR常磐線 坂元駅から徒歩約25分

     やまもと夢いちごの郷から自転車で約15分

駐車場:無料駐車場あり(普通車50台・大型バス3台)

HP:山元町震災遺構中浜小学校 - 山元町ホームページ

 

 

 

 

この記事のライター

 

ニックネーム/丸井 汐里

フリーアナウンサー。毎週金曜11時半~『Date fm Sendaian Hot Music』などに出演中。元NHK福島・広島・ラジオセンターキャスター。元東日本放送アナウンサー。7年間ニュース番組のキャスターを担当し、自ら企画・取材・リポートも行う。2019年よりライターとしても活動開始。Business Insider Japan・ツギノジダイなどで執筆中。経営者インタビューの他、東日本大震災時の報道に携わった経験から、震災後の復興をビジネスの観点から取材している。趣味は食べることと旅行!宮城まるごと探訪では、食と絡めた観光スポット記事や、震災について学べる場所を巡る記事などを執筆。

 

 

 

 

 

 

 

 

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